シス・カンパニー公演 
ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?
SIS company inc. のプロデュース作品のご紹介
《公演概要》
現代アメリカ演劇界の生きる伝説<エドワード・オルビー>に、
翻訳戯曲初演出の<ケラリーノ・サンドロヴィッチ>と、
大竹しのぶ 稲垣吾郎 ともさかりえ 段田安則
超革命的 挑発的 魅力的 刺激的 ”なキャスト陣が挑む。
その表現の過激さと毒々しさで、60年代のアメリカを揺さぶった衝撃波が、
現代の私たちに襲いかかる!
このリビングルームで起こる真夜中の出来事からは絶対に目が離せない!


 
今、日本の演劇界で一番の快進撃を続けている人、それが<ケラリーノ・サンドロヴィッチ>であることは、 誰もが認めるところでしょう。
2006年も年頭に、本年唯一の書き下ろし作となる「労働者M」をKERA自身で演出。現代と近未来の二つの世界が平行して描かれる特異な劇空間を現出させ、またもや作品ごとに違う手触りで観客を驚かせながらも、しっかりと独自の<KERA WORLD>を展開。
改めて、その才能の深遠さを印象づけてくれました。

彼が描く多様な劇世界の根底には、常に不条理でナンセンス、かつブラックな笑いが流れています。
その設定は、一見、救いがなく、破滅的で、崩壊しきった人間関係や社会秩序が横たわっていますが、その中で生きていく人間たちの姿に、私たち観客は、乾いた笑いを浮かべながらも、ボディブローのように効いてくる一撃を受けてしまうのです。
しかも、観客それぞれの感じ方で、心の奥底に・・・・。
そして、今回、その<KERA>が意外にも初めて、長編翻訳戯曲の演出に取り組むことになりました。
 それが、今もなお、現代アメリカ演劇界の生きる伝説として君臨する<エドワード・オルビー>が1962年に発表し、彼の最高傑作にして最大の問題作となった『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?』なのです。

 1960年代初頭のアメリカ社会といえば、ケネディ大統領の登場に象徴されるように、未来はアメリカのために ある、というような自信に満ち溢れていた時代です。
しかし、実際には、まだまだピューリタン的な道徳意識が根強く、人々の心の中では、時代の新しい波と旧来の意識との歪みが、無意識下に進行していた時期でした。
その中で、当時のアメリカ演劇界で、独特の冷徹な視点と不条理な笑いで、常にアメリカの夢の裏側をあばき、大胆な手法と卓越した言語感覚で現実をえぐり出す作品を発表し、「オフ・ブロードウェイの異才」として注目されていた<エドワード・オルビー>が、初めての長編戯曲を携えて、"健全な"ブロードウェイに登場しました。
 深夜2時のインテリ家庭のリビングルームで、泥酔した男女4名によって繰り広げられるこの芝居は、当時としては考えられないほどの猥褻な言葉や、機銃掃射のように浴びせられる、人を冒涜するののしり言葉が飛び交う会話劇です。当時の観客や批評家たちは度肝を抜かれ、その設定の行き場のなさに、ブロードウェイの健全さを愛する人々たちは反発を露にしました。
しかし、多くの観客は、その露悪的でストレートなセリフの応酬に震撼しながらも、そのストレートさゆえに浮かび上がる、登場人物たちの無防備なまでに儚ない姿、そして、愛しいほどに哀しさを抱いた人間の真実を目の前に突き付けられ、驚愕すると共に熱狂的に受け入れました。
そしてその中から、自分たちの心の中に生まれ始めた大きな歪みを意識し、その衝撃がもたらす、ある種の小気味よさや心地よさに身をゆだねたのでした。
 この戯曲が一大センセーションを巻き起こしたのは、そんな60年代のアメリカ社会だからだったのでしょうか・・・・。
この作品の衝撃度は、初演から40年以上の時を経た今もなお、その鮮度を失ってはいません。
それどころか、当時の時代背景や道徳観という外枠が遠くに消え去った現代だからこそ、戯曲を貫く不条理な歪みとダークでダーティな笑いが、その根底に流れる人間の姿を"愛をもって残酷に"浮かび上がらせるのです。そして、よりリアルに現代の私たちの心情に迫ってくるのです。
 
 今回、私たちシス・カンパニーは、この"アメリカ的な"戯曲に、よりダイレクトに日本人の心情に届くリズムをもたらすべき新しい翻訳を施しました。そして、<最強の演出家とキャスティング>を配し、上演実施にこぎつけたのです。
2006年の日本の観客の前で、この凄まじい作品のパワーに屈することなく、新たな化学反応を呼び起こしてくれるのは、<KERA>とこのキャスティングしか存在しないと確信しています。
そして、この戯曲が単に”アメリカ演劇を代表する戯曲”というだけでなく、普遍的な”現代の神話”であることを証明してくれるでしょう。

 出演は、疲れきった中年夫婦の妻・マーサに、ギリシャ悲劇から松尾スズキ・ワールドまで、時代も設定も超越して自在に劇世界に命を与える
<大竹しのぶ>が扮し、マーサの罵詈雑言に対し、やがて反撃とも思えるゲームを仕掛ける夫・ジョージには、圧巻の台詞術と表現力で濃密な空気感を舞台に創り出す<段田安則>が挑みます。
そして、この中年夫婦の真夜中の狂宴に巻き込まれる若夫婦の夫・ニックには、人間のもつ光と影を繊細かつ大胆に表現しリアルな存在感を生み出す
<稲垣吾郎>、無邪気な妻・ハネーは、若さと美しさの裏に共存する聖性と毒性とを巧みに演じ分ける<ともさかりえ>が演じるという、まさしく驚異の顔合わせが実現します。
そして、このオルビーが描いた4人の登場人物たちに、翻訳戯曲初挑戦の<KERA>がどのようなアプローチで挑むのか、
<オルビー>×<KERA>×<大竹/稲垣/ともさか/段田>の出会いが生み出すものが何なのか・・・。
それは劇場空間の中でしか起こり得ず、劇場でしか目撃することができない奇跡の瞬間です。
見てはいけない他人のリビングルームで、深夜から明け方に繰り広げられる不条理なバトルゲーム。
もしかしたら、そのリビングルームには、あなた自身が目をそらしてきた、
                     あなたの心の一部が、剥き出しにされて座っているかもしれません!?
他人の秘め事を覗き見しているような錯覚に陥る劇場空間で、何が起きるのか、是非ご注目ください。

<STORY>
結婚23年目を迎えた大学教授夫妻ジョージとマーサ(段田&大竹)。
結婚生活の惰性と幻滅の毎日の中で、二人はある刺激を求めていた。
ある夜、マーサの父である学長主催のパーティから泥酔気味で帰宅した二人は、パーティで知り合ったばかりの新任の助教授夫妻ニックとハネー(稲垣&ともさか)を自宅に招き入れる。
この初対面同然の若いゲストの面前で、ジョージとマーサはお互いの不満を爆発させ、激しく罵りあい、その露悪的な振る舞いはエスカレート。
やがて、その矛先は若夫婦にも向けられ、否応なくこの狂気のゲームに巻き込まれていく。
眠りを忘れた長い夜に繰り広げられる壮絶な戦い。果たして、彼らに夜明けは訪れるのか?!


原 作……………エドワード・オルビー(Edward Albee)
1928年、米国ワシントンD.C.生まれ。生後2週間で、ニューヨーク郊外に住むオルビー家に養子に出される。
このオルビー家は、劇場チェーンを経営する大富豪で、彼は幼少の頃から観劇に親しむなど何不自由なく育てられた。しかし後年、"両親も私も、親であること、息子であることが不得手であった"と述べているように、愛情には恵まれない少年時代を送り、唯一心を許したのは、養祖母だけであったという。
数多くのオルビー作品で、子供のいないカップルというテーマが頻出してくるが、この生い立ちが、その作風に大きな影響を与えたことは明白であろう。
少年時代から文才を認められていたが、その内容と行動は反抗的で反体制的であり、学校も転入と放校処分を繰り返していた。20歳の頃、家を離れ、グリニッジ・ビレッジで職を転々とする生活を続けていたが、家族で唯一親しかった養祖母からの信託財産を得て、経済的に貧窮することなく、次第に劇作に専念することとなる。
'59年に西ベルリンで、代表作のひとつとなる『動物園物語』を発表。翌年オフ・ブロードウェイで同作を上演し、オビー賞に輝く。そして、62年発表の『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?』は、664回ものロングランヒットを記録し、トニー賞を受賞。この作品は、66年に、後にアメリカン・ニューシネマの旗頭となる当時まだ新進のマイク・ニコルズ監督によって映画化され、まだ30代前半の絶世の美女エリザベス・テイラーが、醜悪な姿で叫びまくる50代の中年女を演じるという興味も手伝い、こちらも空前の大ヒット。
遂には、主演女優賞、助演女優賞(サンディ・デニス)などアカデミー賞5部門の栄誉にも輝く作品となり、この戯曲とオルビーの名声と地位を決定づけた記念碑的な作品となった。
その後、『デリケート・バランス』、『海辺の風景』、『幸せの背くらべ』で3度のピュリッツアー賞を受賞。
『山羊、またはシルビアって誰?』で、2002年度トニー賞ベストプレイ賞、2005年には、トニー賞特別功労賞を受賞するなど、現在も現役で活躍を続けている。
なお、『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?』は、2004年にオルビー自身が表現に改訂を加え、キャスリン・ターナー主演で、実に30年ぶりにブロードウェイでリバイバル上演された。
2006年2月からは、同じキャストによって、ロンドン・ウェストエンドでも上演中である。(上演は5月中旬まで)


[ お問い合わせ ]
シス・カンパニー (03)5423-5906
番号はお確かめの上、お間違えないようおかけください。


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