『23階の笑い』は、1993年11月から1994年8月まで、ブロードウェイ・リチャード・ロジャーズ劇場で初演され、人気コメディアン:ネイサン・レイン(テレビ映画版にも出演)、後にアカデミー賞を受賞する名優J・K・シモンズらが出演。
1996年には英国ウエスト・エンド・クイーンズ劇場で上演され(ジーン・ワイルダー出演)、人気を呼んだ作品です。
物語は、熾烈な視聴率戦争で各局がしのぎを削っていた1950年代のアメリカ・テレビ業界の裏側が舞台。その多くの作品に、自伝的要素を盛り込んできたニール・サイモンらしく、この作品も、彼が実際に大物コメディアン シド・シーザー門下で放送作家・コメディ作家として下積み時代を過ごしていた体験がリアルに描かれています。後に大物作家や監督を多く輩出したシド・シーザーのチームとの日々…。
物語は、若きニール・サイモンを思わせる青年ルーカスを語り部に進んでいきます。
1927年、米国ニューヨーク市ブロンクスにて、ユダヤ系中流家庭の次男として誕生。
大恐慌で経済的にも困窮した両親の不和により、親戚をたらい回しにされるなど、不安定な幼少期を過ごす。しばしば映画館に逃げ込み、チャーリー・チャプリン、バスター・キートン、ローレル&ハーディなどのコメディアンに夢中になる。
地元の高校を卒業後、ニューヨーク大学、デンバー大学で学ぶ。1945年にデンバーの空軍基地で予備役に就き、19歳で除隊。この予備役時代から、すでにプロのスポーツエディターとして執筆を始めていた。
1946年、兄が勤めるワーナー・ブラザースに入社。郵便係の業務の傍ら、兄ダニーと共にラジオやテレビ、ショーの放送台本を書き始める。しばらくしてワーナー・ブラザーズを退社し、1950年代から放送作家として本格的に活動を開始。
本作「23階の笑い」に登場するマックス・プリンスのモデルと言われているシド・シーザーの『Your Show of Shows ユア・ショー・オブ・ショーズ』(NBC)で1952年と1953年にはエミー賞最優秀バラエティ賞を受賞。1954年から1957年放映の『Ceaser‘s Hour シーザーズ・アワー』(NBC)、1955年から1959年まで放映の『フィル・シルヴァーズ・ショー』(CBS)の台本も手掛けるなど活躍。本作『23階の笑い』は、この時期、シド・シーザーの下で、メル・ブルックスやカール・ライナーをはじめとする多くの若き放送作家仲間たちと過ごした日々の出来事が題材になっている。その後、兄ダニーはテレビ・ディレクターに転身。独立したサイモンは、劇作家を目指すことになる。
記念すべき処女戯曲は、1961年に発表した『カム・ブロー・ユア・ホーン』。放送作家も続けながらの創作は20回にも及ぶ書き直しに3年を要したが、お調子者の兄と真面目な弟を中心にしたファミリー・コメディはブロードウェイで大ヒットを記録。
ニール・サイモンの演劇人生がここから始まった。以後、正反対の性格の新婚夫婦を微笑ましく描いたロマンチック・コメディ『裸足で散歩』(1963)、ズボラと神経質の対照的な友人同士の同居生活を描いた『おかしな二人』(1965)が大ヒット。後者はトニー賞を獲得し、一躍、セレブ作家の仲間入りを果たす。続いて、『プラザ・スイート』(1968)、『サンシャイン・ボーイズ』(1972)、『第2章』(1977)、『映画に出たい』(1980)等々、日常生活、自身や周囲の人物たちにその題材をとり、ユーモア溢れた軽妙な台詞に人間の温かみを感じさせる作品を多く発表。
アメリカ演劇界を代表する劇作家となる。
自伝的内容が強いB・B三部作(『ブライトン・ビーチ回顧録(1983)』、『ビロクシー・ブルース(1985)』『ブロードウェイ・バウンド(1986)』)も全世界で根強い人気を誇る。三谷幸喜が初めてニール・サイモン戯曲演出を手がけた『ロスト・イン・ヨンカーズ(1991)』でトニー賞とピュリツァー賞を受賞。彼の戯曲の多くが映画化されており、そのほとんどをニール・サイモン自身が脚色している。