シス・カンパニー公演 23階の笑い
SIS company inc. のプロデュース作品のご紹介


本公演は、2020年12月27日(日)に、千秋楽の幕を下ろしました。
皆様の応援とご協力に、心より感謝申し上げます。
はじめに…

誰もが新型コロナウイルスと真剣に向き合ってきた2020年。
私たちシス・カンパニーは、感染予防対策を十分に講じた上で、9月より公演を再開いたしました。
そして、今後の状況に注視し、更なる対策を施しながら、先々の公演準備を進めております。
この度、本年を締めくくる公演として、ニール・サイモン作、三谷幸喜演出『23階の笑い』を、この12月に世田谷パブリックシアターにおきまして上演の運びとなりました。

ニール・サイモン×三谷幸喜

ニール・サイモンと言えば、皆様ご存知の通り、アメリカが誇る20世紀最大の喜劇作家として、2018年に91歳でこの世を去ってからもなお、舞台、映像の世界で長く愛されている喜劇界の巨星です。もちろん日本でも多くのファンに愛され、必ずどこかで誰かが何かを上演している、と言っても良いほどの人気ぶり。その作風に影響を受けた演劇人や脚本家も多く、その代表格が、脚本家・三谷幸喜であることも皆様ご存知の通りです。

最近も、歌舞伎新作、ソーシャルディスタンス下での新作舞台、オリジナル・シットコムのネット配信等々、幅広いジャンルで「笑い」を発信し続け、老若男女を楽しませている三谷幸喜。
彼の劇団「東京サンシャイン・ボーイズ」の名前が、ニール・サイモンの戯曲「サンシャイン・ボーイズ」に由来していることでも、その思いの深さを知ることができますが、意外にも、2013年に初めて『ロスト・イン・ヨンカーズ』演出を手がけるまで、長い演劇人生の中で一度もニール・サイモン戯曲を取り上げていませんでした。
それは、強い敬愛の念ゆえの封印だったと言われています。それからまた7年…。
その間に”恩師“も天国へ…。
そして、この度、本作『23階の笑い』で、2度目のニール・サイモン戯曲演出に向き合うことになりました。

最後に・・・

若きニール・サイモンが味わったであろう「笑いを生み出す喜びやジレンマ」、「ボスや仲間への愛着と将来への不安」、「社会や権力との闘い」など、さまざまな感情を託された9人の登場人物たち!
演じるのは、瀬戸康史、松岡茉優、吉原光夫、小手伸也、鈴木浩介、梶原善、青木さやか、山崎一、浅野和之の面々です。
劇中の個性豊かな登場人物同様、三谷作品常連のベテランあり、意外にも初顔合わせの俳優あり、こちらも多彩な顔ぶれが勢ぞろいしました。
さあ、このメンバーが摩天楼の「23階」に集結し、三谷幸喜と共に、皆様に2020年最後の笑いをお届けいたします! 是非、ご期待ください!

『23階の笑い』は、1993年11月から1994年8月まで、ブロードウェイ・リチャード・ロジャーズ劇場で初演され、人気コメディアン:ネイサン・レイン(テレビ映画版にも出演)、後にアカデミー賞を受賞する名優J・K・シモンズらが出演。
1996年には英国ウエスト・エンド・クイーンズ劇場で上演され(ジーン・ワイルダー出演)、人気を呼んだ作品です。
物語は、熾烈な視聴率戦争で各局がしのぎを削っていた1950年代のアメリカ・テレビ業界の裏側が舞台。その多くの作品に、自伝的要素を盛り込んできたニール・サイモンらしく、この作品も、彼が実際に大物コメディアン シド・シーザー門下で放送作家・コメディ作家として下積み時代を過ごしていた体験がリアルに描かれています。後に大物作家や監督を多く輩出したシド・シーザーのチームとの日々…。
物語は、若きニール・サイモンを思わせる青年ルーカスを語り部に進んでいきます。
 時は、マッカーシズムに揺れる1953年。
社会は政治、人種など様々な問題があふれていたが、テレビ業界は、熾烈な視聴率戦争の真っ只中。
その闘いの中心は、生放送のバラエティショーだった。
 物語の舞台は、ニューヨーク五番街と六番街の間、57丁目通りにある高層ビルの23階の一室。
ここは、冠番組「ザ・マックス・プリンス・ショー」を持つ人気コメディアン・マックス・プリンス(小手伸也)のオフィスである。新入りライター・ルーカス(瀬戸康史)にとっては、まさに夢の現場! ここには、マックスの才能を愛し、彼のためにコントを書き、認められようと集まった個性的な放送作家たちが行き交っている。
主なメンバーは、目立ちたがりのミルト(吉原光夫)、ロシア出身のヴァル(山崎一)、ハリウッドを夢見るブライアン(鈴木浩介)、マックスが信頼を寄せるベテランのケニー(浅野和之)、病気不安症気味のアイラ(梶原善)、紅一点のキャロル(松岡茉優)とルーカスを含めた7名の作家たち。
そこに、秘書のヘレン(青木さやか)も加わって、出自も性格もバラバラなメンバーが、毒舌を交わしながら切磋琢磨しつつ、コント作りに没頭していた。
 マックスもそんな彼らを大切にしてきたが、そこに大きな問題が・・・。
大衆受けを望むテレビ局上層部が、政治的な話題も番組に織り込むマックスたちのやり方を気に入らず、厳しい要求を突き付けてきたのだ。
 マックスと23階の仲間たちは、このピンチをどうやって切り抜けるのか?!
彼らに未来はあるのだろうか?
1927年、米国ニューヨーク市ブロンクスにて、ユダヤ系中流家庭の次男として誕生。
大恐慌で経済的にも困窮した両親の不和により、親戚をたらい回しにされるなど、不安定な幼少期を過ごす。しばしば映画館に逃げ込み、チャーリー・チャプリン、バスター・キートン、ローレル&ハーディなどのコメディアンに夢中になる。
地元の高校を卒業後、ニューヨーク大学、デンバー大学で学ぶ。1945年にデンバーの空軍基地で予備役に就き、19歳で除隊。この予備役時代から、すでにプロのスポーツエディターとして執筆を始めていた。
1946年、兄が勤めるワーナー・ブラザースに入社。郵便係の業務の傍ら、兄ダニーと共にラジオやテレビ、ショーの放送台本を書き始める。しばらくしてワーナー・ブラザーズを退社し、1950年代から放送作家として本格的に活動を開始。
本作「23階の笑い」に登場するマックス・プリンスのモデルと言われているシド・シーザーの『Your Show of Shows ユア・ショー・オブ・ショーズ』(NBC)で1952年と1953年にはエミー賞最優秀バラエティ賞を受賞。1954年から1957年放映の『Ceaser‘s Hour シーザーズ・アワー』(NBC)、1955年から1959年まで放映の『フィル・シルヴァーズ・ショー』(CBS)の台本も手掛けるなど活躍。本作『23階の笑い』は、この時期、シド・シーザーの下で、メル・ブルックスやカール・ライナーをはじめとする多くの若き放送作家仲間たちと過ごした日々の出来事が題材になっている。その後、兄ダニーはテレビ・ディレクターに転身。独立したサイモンは、劇作家を目指すことになる。
記念すべき処女戯曲は、1961年に発表した『カム・ブロー・ユア・ホーン』。放送作家も続けながらの創作は20回にも及ぶ書き直しに3年を要したが、お調子者の兄と真面目な弟を中心にしたファミリー・コメディはブロードウェイで大ヒットを記録。
ニール・サイモンの演劇人生がここから始まった。以後、正反対の性格の新婚夫婦を微笑ましく描いたロマンチック・コメディ『裸足で散歩』(1963)、ズボラと神経質の対照的な友人同士の同居生活を描いた『おかしな二人』(1965)が大ヒット。後者はトニー賞を獲得し、一躍、セレブ作家の仲間入りを果たす。続いて、『プラザ・スイート』(1968)、『サンシャイン・ボーイズ』(1972)、『第2章』(1977)、『映画に出たい』(1980)等々、日常生活、自身や周囲の人物たちにその題材をとり、ユーモア溢れた軽妙な台詞に人間の温かみを感じさせる作品を多く発表。
アメリカ演劇界を代表する劇作家となる。
自伝的内容が強いB・B三部作(『ブライトン・ビーチ回顧録(1983)』、『ビロクシー・ブルース(1985)』『ブロードウェイ・バウンド(1986)』)も全世界で根強い人気を誇る。三谷幸喜が初めてニール・サイモン戯曲演出を手がけた『ロスト・イン・ヨンカーズ(1991)』でトニー賞とピュリツァー賞を受賞。彼の戯曲の多くが映画化されており、そのほとんどをニール・サイモン自身が脚色している。

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シス・カンパニー 03-5423-5906
(平日11:00〜19:00)
番号はお確かめの上、お間違えないようおかけください。