シス・カンパニー公演 出口なし
SIS company inc. のプロデュース作品のご紹介
 本公演は、2018年9月30日(日)に千秋楽の幕を下ろしました。
ご来場、ありがとうございました。
 人間の根源を実存主義という哲学概念から探求してきた哲学者サルトルには、劇作家、小説家としての顔がありました。この度、私たちシス・カンパニーが挑む『出口なし』は、彼の劇作家としての代表作で、日本を含めた全世界で繰り返し上演されてきた作品です。
「サルトルって哲学者のサルトル?小難しそう・・・」という声が聞こえてきそうですが、心配は全く無用!
私たちは哲学論議をぶつけるためにこの演目を選んだのではなく、理由はズバリ、この戯曲に描かれた「密室」という究極の状況下での人間関係や感情の動きが、実に濃密で高いエネルギーを発しているから!
それを演劇界屈指の顔ぶれで見られるチャンスが今回のシス・カンパニー公演『出口なし』なのです。
 設定は、窓もなくドアも開かない密室。そこに、何の接点もない男女3人が集められます。そこには鏡もないため、自分の姿を見ることはできません。そこで自分の姿や存在を確かめられるのは、目の前にいる相手を通して確かめるのみ。自分がどんな存在でそこに在るのかは相手を通してしかわからない、、、。これは、社会生活上でも同様で、社会で自分がどのような存在と見られているのかは、自分の判断ではなく、自分に向けられる他者の態度や視線でしか自分の社会的存在を知ることができないのです。この『出口なし』に先立って、サルトルは大著『存在と無』で、「無の問題」「対自存在」「対他存在」などを論じていますが、他者の意識との相克的関係を極限的な形で表現したのが、この戯曲『出口なし』だと言われています。

STORY

とある一室に、それぞれ初対面のガルサン、イネス、エステルの男女3人が案内されてきた。
この部屋には窓もなく、鏡もない。
これまで接点もなかった3人だったが、次第に互いの素性や過去を語り出す。
ガルサンはジャーナリスト、イネスは郵便局員、そして、エステルには年が離れた裕福な夫がいたという。
それぞれがここに来るまでの話はするものの、特に理解し合う気もない3人は、互いを挑発し合い、傷つけ合うような言葉をぶつけ合う。
そして、この出口のない密室でお互いを苦しめ合うことでしか、自分の存在を確認する術もない。
なぜ3人は一室に集められたのか・・・。
ここで、彼らは何らかの救いを見出せるのだろうか?
 出演は、20代の頃に演じた少年役に再び挑んだ『にんじん』、名作ミュージカル『リトル・ナイト・ミュージック』と、近年益々、幅広いジャンルや役柄への果敢な挑戦を見せる大竹しのぶ、2011年読売演劇大賞優秀女優賞・杉村春子賞を獲得し、映像のみならず舞台にも積極的に取り組む多部未華子、本年2018年は、長いキャリアの中で初めて年間5本もの舞台出演に臨んでいる段田安則の充実の顔ぶれ。
上演台本・演出を手掛ける小川絵梨子と共に、まるで戦いのリンクのような密室での濃密でスリリングな会話劇に挑みます。
 この戯曲での台詞のひとつひとつは、もちろんサルトル哲学が生み出したものであり、『出口なし』は、その哲学を考察する題材として、多くの研究や解釈が成されてきた重要な作品と言われています。
 しかし、今回の小川絵梨子上演台本・演出の下で皆さんが経験する劇世界は、<大竹×多部×段田>の<演劇的身体>を通して語られる台詞や表現によって見出される、新たな発見への期待感に満ちています。
「サルトル=難しそう」という先入観はかなぐり捨て、是非、この演劇バトルに飛び込んでください!
 本公演は、大阪公演も決定。関西の皆さんにも、この濃密でスリリングな台詞の応酬を、まるで間近に見る格闘技マッチを見守るかのように、ご覧いただきたいと願っています。
演劇界屈指の顔ぶれが激突する究極の密室空間。
入り込んだら逃れられない究極のデッドエンドへ・・・。
 シス・カンパニー公演『出口なし』に、是非ご期待ください。
ナチス占領下の1944年5月27日、フランス・パリの「テアトル・ドゥ・ヴィユ・コロンビエ」にて初演。(ちなみにノルマンディー上陸作戦は同年6月6日、パリ解放は8月25日である)実存主義を象徴する戯曲。原題のフランス語「HUIS」は、もともと「扉・戸口」の意味。CLOSは「閉ざされた、閉まった」の意で、HUIS CLOSは直訳では「閉じた扉」となる。これはフランスの法律用語では、「非公開審理」「傍聴禁止」という意味で使われている。
パリ初演は大反響を呼び、これをアメリカの小説家・翻訳家・作曲家ポール・ボウルズが英語に翻案。
1946年11月~12月には米国ブロードウェイ・ビルトモア劇場で初演され、「これぞ現代演劇。必ず観るべき作品」と評価された。この舞台の演出は、「マルタの鷹」「黄金」など骨太でハードボイルドタッチの映画作品で有名なジョン・ヒューストンが手掛けた。この縁で、1958年には、ジョン・ヒューストンがサルトルに映画脚本を依頼。心理学者フロイトの若き日を描いた「フロイト」を提供するが、様々な軋轢の後、サルトルは自分の名のクレジットを辞退したと言われている。
ジャン=ポール・サルトル Jean Paul Sartre (1905-1980)
パリ生まれ。2歳のとき父を亡くし、ブルジョア知識階級である母方のドイツ系フランス人の祖父に養育される。パリの名門高等学校(リセ)アンリ4世校を卒業。1929年に1級教員資格アグレガシオンに首席で合格。このときの次席がシモーヌ・ド・ボーヴォアールであり、同年「契約結婚」を結び、その関係は終生続いた。
合格後、各地の高等学校(リセ)の教師となり哲学を教えながら、その間1933~34年にかけてベルリンに留学。フッサールやハイデガーを学び、意識構造の現象学的解明に努めた。
その後、第2次世界大戦に召集され、ドイツ軍の捕虜となるが、偽の障害者証明書で脱出し、パリに戻ったという。
実存主義を唱えて、小説「嘔吐」「壁」、戯曲「出口なし」「汚れた手」などを発表。近代人の不安と虚無を描いた。
評論にも「存在と無」「実存主義とヒューマニズム」「ボードレール」等がある。
その活動は多方面にわたり、その人生観や文学観は戦後の人の心をとらえて注目された。マルクス主義哲学を批判するが、やがて共産党の強力な支持者となり、みずからも政治活動に積極的に参加。1964年ノーベル文学賞を贈られたが辞退した。
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シス・カンパニー 03-5423-5906
(平日11:00~19:00)
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